浅利陽介は何故二度目の小早川秀秋役!?

個性派俳優の浅利陽介さんですが、出演している「真田丸」で、
「小早川秀秋」を演じます。

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*http://moogry.com/index.phpより引用*

実はこの「小早川秀秋」ですが、一昨年の大河ドラマである、
「軍師官平衛」につづいての抜擢です。
何故浅利陽介さんは二度も小早川秀秋を演じる事になったのでしょうか。


その前に小早川秀秋とはどんな人物なのでしょうか?

浅利陽介さん演じる小早川秀秋って?



まずは小早川秀秋について紹介します。

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*http://matome.naver.jp/odai/2141493731555111901より引用*
こちらは浅利陽介さんが演じた小早川秀秋です。

小早川秀秋というと、関が原の戦いで東軍に寝返ったという話がとても有名です。

小早川秀秋がどういう人物かを知ると、
さらに話を面白く見ることができます。

プロフィールを紹介します。

小早川秀秋は1582年に羽柴(豊臣)秀吉の正室寧々(おね、高台院、北政所)の兄である、
木下家定の5男として長浜に生まれます。
1582年なので本能寺の変の年ですね。激動の年に生を受けたわけです。

その後1985年に甥である羽柴秀吉の養子となります。
幼き日より寧々によって育てられました。
(2人には子供が授かりませんでした。)

元服後は、木下秀俊と名乗りました。

1589年になると、豊臣秀勝の領地であった丹波亀山城10万石を与えられます。
7歳で10万石の大名です。
やばいですね。

1592年になると、官位として従三位・権中納言、兼左衛門督となり、
「丹波中納言」と呼ばれました。

幾多の歴史作品で、小早川秀秋が「中納言様」と呼ばれるのはこのためです。
このときまでは、当時関白の豊臣秀次継ぐ、豊臣家の継承権保有者だったのです。


ところが、事態が一変するできごとが起きます。
1593年に豊臣秀頼が誕生します。
豊臣秀吉待望の実子です。当然秀吉は息子に全部継がせたいと思いますよね。

そのなると浮いてしまうのが、秀俊(小早川秀秋)です。

急遽毛利輝元への養子に出される話が出てきます。
しかし、毛利輝元には、すでに毛利秀元が跡取りとして決まっており、
毛利家の重臣小早川隆景の養子として迎えられる事が決まります。

こうして、秀秋は小早川家に迎えられました。
ちなみにこの養子縁組によって、小早川隆景の待遇は急上昇し、
五大老の一角まで上り詰めました。

そんな秀秋にまたしても試練が訪れます。
1595年豊臣秀次切腹の秀次事件の折に、丹波亀山城を没収されてしまいます。
またもやとばっちりを受けた形です。

しかし、同年小早川隆景が隠居したために、
小早川家の所領筑前30万7000石を引き継ぎます。
13歳にして、30万石の大大名となりました。

1597年には朝鮮にも出兵しています。
この時名を小早川秀俊から、小早川秀秋に改めました。


帰国後に小早川秀秋を待っていたのは、越前北ノ庄への転封・減封命令です。
所領は半分の15万石に減りました。



所領が半分ですので、たくさんの家臣を切らざる終えなくなりました。
多くの家臣を解雇したのは、とても辛かったと思います。

これは、朝鮮出兵で代官を務めた「石田三成」の査定であったといわれています。
大将の器にあらず、と秀吉に進言したようです。
三成に恨みがあったとしても仕方が無いですね。


秀吉の死後、徳川家康が五大老連署にて知行宛行状が発行され、
旧領の筑前30万石に復帰します。

めでたしめでたしなのですが、ここに関が原への複線があったわけですね。
家康に恩が生まれたわけです。

その2年後運命の関が原の戦いがあり、
東軍に寝返ります。

その後岡山藩55万石の藩主となりますが、
1602年に21歳の若さで急死してしまいます。

大谷吉継や石田三成のたたりだという噂もあります。

長くなりましたが、小早川秀秋はこんな人物です。

それでは、何故浅利陽介さんが小早川秀秋役に二度も抜擢されたのでしょうか。


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何故浅利陽介さんは小早川秀秋役なの?



関が原の戦いにおいて、勝敗を決する重要な役割を担っただけに、
小早川秀秋は重要です。

小早川秀秋を見たときに、
東軍に着くだけの十分な理由があったことが良くわかります。

朝鮮出兵後石田三成の審査によって、
石高を減らされ、多くの家臣を解雇することになりました。

その後徳川家康の手によって、所領を取り戻す事が出来ました。

十分な東軍に着くような理由があったのです。

しかし、調略に応じながらも、なかなか動かなかったため、
優柔不断な人物として描かれる事が多いわけです。

これが多くのドラマでの小早川秀秋です。

気は優しく、いい顔しいで、優柔不断。。。

そんなキャラクターゆえ、浅利陽介さんが抜擢されるのですね。


「軍師官平衛」では、優柔不断な小早川秀秋を見事に演じました。

やさしさは、浅利陽介さんの風貌でとても伝わります。

そこに、子役時代から20年にもわたる、
芝居のキャリアがありますから、役に引き込まれるわけです。

当時大河ドラマで、なかなか寝返りに踏ん切りがつかず、
秀秋が迷うシーンがあります。

そこに大筒が打ち込まれるわけですが、
そのときの浅利陽介さんの演技は見事の一言です。

「家康が、家康が怒っている!」

結局家康の怒りにおびえ、西軍への攻撃に転ずるわけですが、
その決断力の無さを演じきる様は見事と言うしかありません。



これまでも、浅利陽介さんは名脇役として活躍してきたので、
演技力は言うまでも無い所ですね。

通常、小早川秀秋はこのような優柔不断の臆病者として描かれるわけですが、
「真田丸」の脚本家である、三谷さんはどのように描くのでしょうか。

あえて浅利陽介さんを起用している所にミソがあるかもしれませんね。

大河ドラマで、同じ役を演じたのは、
最近では竹仲直人さんの秀吉役です。

ただ、竹仲さんは、実質役20年ぶりに演じているわけで、
今回の浅利陽介さんの2年ぶりという短期間はまさに異例中の異例であると言えます。

これから「真田丸」は秀頼誕生、朝鮮出兵と豊臣政権崩壊へと進んでいくわけですが、
そこで浅利陽介さん演じる小早川秀秋の出番も必然的に多くなっていきます。

どんなキャラクターになるのかとても楽しみですね。

浅利陽介さんなので、きっと素晴らしい演技で楽しませてくれると思います。

乞うご期待ですね!