広島カープ 梵英心は引退するのか?

25年ぶりの広島カープ優勝に沸く広島ですが、
その一方で寂しい話題も聞こえてきます。

梵英心選手の引退の噂があります。

梵選手は、カープが低迷していたころの功労者です。
引退してしまうのでしょうか。

■目次
・広島カープ梵英心とは?
・梵英心は引退してしまうのか?

広島カープ梵英心とは?



まずは、梵英心選手について紹介したいと思います。

カープファンの方でも、
最近ファンになった方も多いと思います。

梵選手について、
詳しく知らない人もいるのでは無いでしょうか。

簡単にプロフィールです。

名前:梵英心(そよぎ えいしん)

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*http://baseballking.jp/ns/27392より引用*

出身:広島県三次市
生年月日:1980年10月11日
右投げ右打ち
身長173cm 体重76kg

名前がとても特徴的ですが、
実家が浄土真宗のお寺さんです。
これで「そよぎ」と読みます。

今回の25年ぶりの広島カープ優勝が決まり、
新井貴浩選手が広島出身と話題になっていましたが、
この梵英心選手も広島県の出身選手です。

しかも、2000年代に入り、
広島カープが万年五位と低迷した、
その頃の功労者だといえます。

1980年生まれなので、
松坂世代の生き残りになります。

2006年に大学生・社会人ドラフト3位で
広島カープに入団します。

その後、安定した守備と、
小柄ながらリストの強さを武器にした強打で、
そして、走力で広島カープのショートストップとして
活躍してきました。

2010年には、打率.306 13本塁打 56打点を記録します。
この年は盗塁王にも輝いているので、
キャリアハイの年ですね。

しかし翌年2011年に自打球により、左膝を骨折します。

この怪我が尾を引き、かつての走力は鳴りを潜めますが、
広島カープのショートストップ、サードベースマンとして
活躍してきました。

低迷期を経験しているファンであれば、
梵英心選手の活躍を記憶されてい人は
多いと思います。

しかし、近年は状況が違っていました。


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梵英心は引退してしまうのか?



2015年は酷い打撃不振に陥り、
最終的に打率.237  6本塁打 27打点という散々な成績に終わります。

9月は極度の不振を極め、
打撃不振が原因での2軍降格を経験します。


2016年は長らく二軍暮らしが続き、
1軍に合流したのは、猛優勝間近のときでした。

マツダスタジアムで開催された、
9月8日の阪神戦でした。

7番サードでの先発出場。

久々に梵選手を見た瞬間でしたね。

この翌々日、広島カープは東京ドームで優勝します。

そして、程なくして、梵選手の2軍降格が決まりました。

これをみて、優勝の瞬間を立ち会うための
一軍合流と感じずにはいられませんでした。

戦力としてではなく、
あくまでチームの功労者としての、
一軍合流です。

その証拠に優勝が決まると、
二軍に落ちてしまいました。

年齢も35歳で、左膝には古傷を抱えます。
体力的にも力が落ちる年齢です。

ましてや小柄な内野手の選手寿命は、
短い傾向があります。

もしかして、引退かな・・・

と思った矢先に本人のブログ
に意味深な投稿がありました。

梵英心ブログの内容



それは、自身のオフィシャルブログで、
9月11日に「ありがとう」というタイトルで
投稿が行われました。

優勝に立ち会っての感謝の気持ちとして、
「ありがとう」という気持ちを綴っていました。

それは、どちらかと言うと、
選手としてのそれではなく、
終わりを迎えようとしている、
人の言葉に取れました。

この優勝を一区切りに、
引退するのだろう、と思えましたね。

私は彼のプレーが好きだったので、
とても寂しい気持ちになりました。

できれば、レギュラーとしてスタメン出場して、
優勝を勝ち取って欲しかったですね。

しかし、梵選手がいなくても
カープは優勝しました。

悲しいですが、梵選手が一軍に上がれなくなるぐらい、
選手層が厚くなったので、広島カープは優勝できたのだと思います。
世代交代が訪れ、若い力の台頭が
カープ優勝の大きな原動力でした。

2013年には楽天イーグルスが優勝しましたが、
創設時から弱小時代のメンバーは殆どいませんでした。

野手だと、嶋選手、牧田選手ぐらいでしたね。

優勝には、世代交代とヤングスターの登場が必要なので、
致し方ないところですね。

最終的に引退するのか、現役を続けるのかわかりませんが、
大きな節目を迎えているのは間違い無さそうですね。



梵英心という名手の同行がとても気になります。

マツダスタジアムでの
彼のプレーがもう見ることができないとしたら、
とても寂しいなと思いました。