新横綱稀勢の里の親方は誰?どんな人?

初場所優勝の稀勢の里関の横綱昇進が決まりました。
若乃花以来の日本出身横綱の誕生ですね、

優勝後、メディアに稀勢の里のコメントが載ることも、
多くなりましたが、親方への感謝が見られます。

親方がいたからここまで来ることができたという気持ちですね。

父親の貞彦さんも、親方への感謝の気持ちを口にしています。

稀勢の里関の親方とは誰なのでしょうか。
そしてどのような人なのでしょうか。

今回は親方についてです。

◆目次
稀勢の里師匠 田子ノ浦親方
稀勢の里師匠 鳴門親方
稀勢の里兄弟子 西岩親方

稀勢の里師匠 田子ノ浦親方


まずは、優勝会見の席、横綱昇進口上の席に同席した、
現親方の田子ノ浦親方についてです。

現役時代は元幕内隆の鶴として、最高位は前頭8枚目です。
188cmの長身を生かした、押しが持ち味でした。
出身は鹿児島県です。

現役時代は何度も怪我に苦しんでおり、
足の故障に悩まされました。
特に酷かったのが神経痛で、
指の大手術も経験しています。


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そのため、長期の休場が相次ぎ、
幕下から序の口まで転落すると言う事も経験しています。

かなりの苦労人であると言えます。



現役時代はもみ上げがトレードマークで、
同時期に活躍していた元幕内闘牙と間違えられることが、
多々ありました。

本人たちの間では、ファンに間違えられても、
やり過ごすよう申し合わせていたそうですね。

ちなみに取り口は突っ張りの闘牙と、
押しの隆の鶴という攻防だったようです。

引退後は部屋付の親方として、
後進の指導にあたりましたが、
後に紹介する鳴門親方が病で亡くなります。

そのため、急遽部屋の跡取り問題となります、
年寄鳴門を襲名します。

しかし、その後年寄田子ノ浦(元幕内久島海)が亡くなった事で、
その年寄株を継承、
現田子ノ浦親方として、部屋の運営をしています。

この部屋の継承に関しては、
当時いろいろと騒ぎになりました。

親方としての指導力を問われると、
この点について聊か疑問があります。

稀勢の里の指導についてインタビューを受けると、
「本人に任せてある」
とのことです。

この点は大きくクビを傾げざるおえない点です。
私は技術的指導があまり得意では‘無いのではないかと思っています。

過去に田子ノ浦親方の解説を聞いたことがありますが、
あまり技術解説が得意ではないという印象をうけました。

これは、喋りが下手というよりは、
そもそもテクニックを持っていない、
わからないので解説できないのでないかと思っています。

技術的な話が上手いのは、
現在の解説者では、舞の海秀平さん、
玉ノ井親方(元栃東)、伊勢ヶ濱親方(元旭富士)、元小城錦など
最近聞きませんが、中村親方(元琴錦)もとても上手いです。

押し相撲出身の親方が下手な印象があります。

最高位が前頭だからしょうがないのでは、
との話もありますが、同じ平幕出身でも境川親方(元両国)は、
指導も解説もしっかりしています。

ただ、怪我との戦いに打ち勝ってきたので、
メンタル的なところはアドバイスできると思います。


稀勢の里が常々「感謝している」と言っているのは、
先代鳴門親方(元)です。

入門した時の親方ですね。


稀勢の里師匠 鳴門親方



稀勢の里の師匠先代鳴門親方は元横綱隆の里です。

現役時代は横綱千代の富士らと死闘を繰り広げ、
4度の幕内最高優勝を成し遂げます。

優勝4回は少なく思えますが、
1983年3月場所~1984年の1月場所まで、
80勝10敗という驚異的な成績を残しています。

この間優勝3回、次点3回ですので、
短い期間ではありますが、圧倒的な力を誇っていたと言えます。

引退後は年寄・鳴門を襲名し後進の指導に当たります。

指導はとても厳しかったそうで、
今では「パワハラ」と言われかねないほど、
激しかったようです。

角界随一と呼ばれる知識量で、
弟子の指導に関してもその知識と経験が存分に生かされていました。

相撲に対しての目利きは素晴らしく、
稀勢の里に押し相撲をするよう徹底させました。

これは、蹲踞(そんきょ 脚を広げてしゃがむ相撲の所作)を見たとき、
膝と足首の硬さを見抜いたためでした。

身体が固いと、四つ相撲の時怪我をしてしまうということを
懸念しての判断です。

稀勢の里が怪我無くやれたのも
先代鳴門親方のおかげとも言えます。

余談ですが、実は親方の現役時代である、
隆の里は身体が固く腰高でした。

この辺は稀勢の里と同じですね。

もしかすると、親方自身自分に似ていると
思っていたかもしれませんね。

また、自身がチャンコ番をしていた経験から、
味にはとても厳しかったといいます。
ちゃんこ鍋以外にも栄養のバランスを考えた料理が並びました。

これは、自分自身が現役時代糖尿病を患っていたためで、
現役時代は糖尿病で力がでない中、
食事面等を研究し、創意工夫をしてきました。

自分の闘病経験が生かされているといえました。


2011年急病で倒れ、帰らぬ人となってしまいました。
自分を角界に見出し、そして大関まで昇進させてくれた、
師匠鳴門親方にとても感謝しているわけです。



稀勢の里兄弟子 西岩親方



最後に西岩親方について紹介します。
こちらは、同じ田子ノ浦部屋の部屋付親方で、
最近まで現役だった元関脇若の里です。

人柄も良く、人望も厚かったため、
本来であれば鳴門部屋を継承する立場でありました。

しかし、現役にこだわりをみせ、
親方にはならなかったので、
元隆の鶴に親方になるチャンスが来たというわけですね。

知名度もさることながら
指導力もあるのですが、
こればかりはタイミングだなとつくづく思いますね。

以上3人の親方についてでした。